ドイツ・オーストリア旅行

2014年8月13日 (水)

ドイツ最後の夜です。

Img_5862_2
明日はオーストリア経由でイタリアに入り、一泊してからミラノに戻ります。
というわけで、今日の夕食はバイエルン料理を堪能する事にしました。
Tipical_bayerns_foods
こちらは豚肉の煮込みやザワークラウト、パンやジャガイモなどが練り込んである団子などがのっています。
最後なので久々にまたデザートも頼んだら、とんでもない量のものが出てきました。
Pane_cake
このパンケーキみたいなものに、
Salsa_di_mela
このリンゴのソースをかけて、食べるのだそうです。
お腹いっぱいになったので街を散歩してからホテルに戻りましたが
その途中、
Img_5870
空に虹が見えました。
思わず、noteOver the rainbow(by Misa code)歌っちゃいましたよ〜

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2014年8月12日 (火)

ナチスが作った地下施設は半端じゃないです。

Oversalzberg

ここOversalzbergに、車を停めてヒットラーの別荘まで行ったのですが、

そこにある資料館では、ニュルンベルクで見た写真も何点かありました。

でもさすがにここは人気があるのか、イタリア語の説明もありました。

日本語ではガイドブックも売られていましたから、アメリカ人だけでなく多くの外国人が訪れる事が伺えます。

またその地下に張り巡らされたBunker(掩蔽壕えんぺいごう)の大きさや距離にもビックリで、その一部も資料館に隣接して公開されています。

Il_bunker
この先は病院として使われていたとか。
Il_bunker_ospedale
別の道を行くと異様な空間もあって、
Bunker_calcare
これはよく見るとつららじゃなくて、石灰が固まっているみたいなんです。
その下を覗いたらこんな感じで、
Bunker_fondo
説明がないので分かりませんが、ボイラーみたいなものもあるので、この地下施設になくてはならなかったものということは間違いありません。
この一体には、ヒットラーの他の別荘もマルティン・ボルマンの別荘も、ゲーリング(ヒットラーの後継者と言われた)の別荘もありましたし、その地下はどうやらすべてつながっていたようです。
Chikatsuuro
そして、Bunkerには驚いた事にまだ住民がいました~。
Rana
この小さなカエル。どこから入り込んだのか?

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2014年8月10日 (日)

パート3: ケールシュタインハウスをどのように作ったか? 

ここを作るために呼ばれた技術者はドイツ人、オーストリア人だけではなく多くのイタリア人もいたそうです。

ユダヤ人を使ってというわけではないので、かなりお金もかかったことでしょう。

仕事のない不景気な時代に支払われた金額は、相当以上のもので多くの人が集まりました。
でも現実はかなり厳しい。
Costruito_a_1834_mt
何しろこの何もない崖の天辺に別荘を建てたのですから、建物以外に水道、ガス、電気、電話とあらゆるものを引かないと行けなかったわけですよね。
パート1でもお伝えしたように、自動車で行くのも大変なところ。
それに、写真内にもあるように標高1834mですから、もの凄い誕生日プレゼントですよね。
Come_lavoravano
雪が積もっていても、このような過酷な作業を強いられ、事故が多発する中、給料がいくら良くても逃げ出した人は多かったようです。
Alloggio_per_i_lavoratori
写真中央の下部分に写っているのが彼らの宿泊施設。
結構、恐ろしいところに建てましたよね。
ダム建設ならまだしも、ひと一人のためにここまでする時代だったのかと、ただただビックリしました。
一昨日、偶然イタリアの国営放送で、ドキュメンタリー番組『ムッソリーニとヒットラー』をやっていて、この別荘も出てきました。
10回ほどしか訪れなかったヒットラーが、ここから景色を見下ろす貴重な映像です。
ムッソリーニが捉えられ処刑、その後ミラノに遺体が運ばれ、ロレート広場に逆さまに吊るされている映像。その遺体を下ろしてすぐ、何人もの男の人が蹴っているところなど、目を塞ぎたくなる映像が多く出てきましたが、ムッソリーニはヒットラーに影響されて、また操られるかのように戦争を始めたのですから、国民が怒るのも仕方がない。
他殺と自殺。
二人の結末はあまりにも違いすぎます。

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2014年8月 9日 (土)

パート2: ヒットラーの別荘ケールシュタインハウスです。

まずエレベーターを降りて外に出てみると、

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すっかり雲の中で何も見えません。
Villa_di_fuhrer
外から見ると別荘はこの辺で調達できる材料を使っている事がわかります。
中に入ると現在はレストランになっていますが、
Villa_di_fuhrer_ristorante
今日はお天気が良いのでお客様は外にいるため、食事の邪魔をせずに観光出来ました。
この別荘はヒットラーの50歳の誕生日に彼の側近で政治家だったマルティン・ボルマンがプレゼントしたもので、この部屋にはムッソリーニがプレゼントした、大理石で出来た暖炉があり、
Camino_di_mussolini
その暖炉の前にある絨毯は昭和天皇がプレゼントしたものだそうです。
Tappeto_di_hirohito
アメリカ軍が持っていったかな?
今はいずこへ?
8cmもの厚さがあったそうですよ。日独伊三国同盟ですものね。
プレゼントがないわけないか〜
その後、また外に出てみると、
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雲の隙間から下が見えてきました。
次回は、どうやってこんな高いところに作ったかをお知らせします。

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2014年8月 8日 (金)

パート1: ヒットラーの別荘ケールシュタインハウスへ行ってきました。

鷲ノ巣と占領したアメリカ軍が名付けたくらいですから、かなり高いところにあります。

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あれがこれから向かうところ???   
かなり急な坂道でミラノように坂のない所しか走った事のない私は行きも帰りもかなりドキドキでした。
それでも、まだその先があって、そこは更に道が狭くなり、崖も多いので、一般車の通行禁止confident正直ホッとしました。
歩けば2時間だそうですが、殆どの方が専用バスに乗ります。
8月に入ったし、昨日は雨だったようで、
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その分、今日に集中したのでしょうか?
もの凄い列です。
Fila_per_salire_con_bus
でも、この列に並ぶくらいなら、2時間歩いて登ろうと私は思わないタイプ。
Photo
私の選択は間違っていなかったと、実感しました〜。
バスの運転手さんもこんな怖い道(バス内からまだ気持ちに余裕があった時に撮影)
このスピード? 
って感じで走るのに、それでも20分はかかりました。
”全くなんちゅうところに建てたんじゃ〜”とこれが生の感想。
やっとの思いで到着しました。
Img_5603
ここからは山の中に作られた黄金のエレベーターに乗って頂上の別荘へ。
中央少し左にトンネルの入り口のような穴があるのが分かりますか?
そこを入っていくと、長い通路があります。
Photo_2
入り口付近は明るいのですが
Photo_3
奥へ行くとこのように暗いです。そしてまっすぐ進んでいくとエレベーターホール前の明かりが見えてきました。
Entrance_of_lift
エレベーターの定員は40名。
真鍮や鏡などでキラキラしていましたが、ぎゅうぎゅう詰めで掲載出来る写真はこれだけ。
Ascensore_di_nido_dell_acquila
下からエレベーター天井を写しています。
エレベーターガールではなく、おじいさんが定員いっぱいいっぱいに乗せたのでこれがせいいっぱい。
というわけで続きはまた明日。

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2014年8月 7日 (木)

ルートヴィッヒ二世の生き方は本当に天晴れ。

今日の目的地はこの船に乗って向かいます。

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あいにく少し雨模様ですが、
この先に見える湖に浮かぶ島にあるヘレンキームゼー城が目的地です。
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これが、島全体を買い取り、あのルートヴィッヒ二世が建てた未完成のお城です。
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このお城の前の庭園には、凝りに凝った噴水がいっぱいあります。
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分かります?
これ一体、一体ブロンズで出来た亀なんです。
時間が来ると、この口から水が出てきます。
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upwardrightこちらはカエルです。
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このラッパからも水が出るのかなと思ったらやっぱり出ました。
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これはほんの一部でしかないのですが、遊び心がいっぱいの噴水がたくさんあって、相変わらず彼のスケールの大きさに驚くばかりです。
最初に彼の作ったお城を見たのはノイ・シュヴァン・シュタイン城で、ディズニーランドのお城のモデルにもなっている事で有名です。
でもその後行ったリンダーホーフ城では、洞窟の中に池みたいなのを作って白鳥やゴンドラを浮かべたりと、夢の世界がお好きだった様子で、ただただ驚きました。
そしてこれが最後のお城というわけです。
城内は撮影禁止でしたが、テーブルが下の階からエレベーターのように上げ下げ出来るのは映画でも見ていたので感動しました。
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190cm以上の長身でこんなハンサムだった彼も、甘いものが大好きだったようで、晩年は歯がボロボロでこんなに太っちゃったそう。
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ワーグナーが好きでバイロイトの劇場建設にもお金を出したらしいですから、本当に芸術をとことん愛した人なのですね。
おとぎの世界が好きだった彼の死はやはり、彼が望んだ通り謎に包まれています。

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2014年8月 6日 (水)

バイロイトと言えばワーグナー

旧東ドイツを離れ、バイエルンに戻ってきました。

最初の目的地はまずこちら。

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ワーグナーがフリードリッヒ2世の援助によって建てたというバイロイト祝祭劇場で、バイロイト郊外にあります。(フリードリッヒ2世については旅の後半、彼の作った城に行きますからまたその時に)

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残ホール前庭園は、よく見るとカラフルなワーグナーがいっぱいです。

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残念ながら、リハーサル中で中に入る事が出来なかったですし、外観も修復中。

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ワーグナーの家も修復中。完成したら、博物館として一般公開されるそうです。

現在は一部の展示品を無料公開中。

Wagner_cantieri

というわけで、ワーグナーもこんな感じ。

お墓参りは出来ると言うので、最後にお参りしてきました。

La_tomba_di_wagner

ベネツィアで心臓発作を起こし亡くなった彼は、不倫の末一緒になった2番目の妻リストの娘コジマとここに永遠に眠っています。

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2014年8月 5日 (火)

ライプチッヒのアーケードと由緒あるレストランのお食事。

ライプチッヒは、アーケードの街でも有名です。

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街のあちこちに出てくるのです。

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このアーケードは皮屋さんが多いのですが、天井を良く見ると

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革張りのよう。

私達のホテルの側にもアーケードがあり、

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中に入るとこんな感じ。

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このアーケードはミラノのガレリアをモデルにしたそうです。
そしてその中に、お目当てのレストランがあり、今日はここでお食事。
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ここは最近ではクリントン元大統領、
そして森鴎外も明治18年にお食事されたところなんですって。
そういえば、彼の住んだ家というのを昔教えてもらって家にも写真が残ってます。
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さてそのレストラン、電燈もお上品で素敵です。
そしてお食事も、
Antipasto
久しぶりに海老とホタテを食べました。
Gratin
こちらは野菜のグラタン風。
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これは本日のおススメで牛肉がとろけるように柔らかかったです。
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今回の旅で初めてデザートも注文しました。
チョコムース、ホワイトチョコクリーム、アイスクリームにラズベリーソース。
カロリーが高そうでしたが甘過ぎず美味しかったです。
でもこのレストラン、見た目ほど高くないです。
ミラノのその辺のレストランとさほど変わりません。
アウアーバッハ・スケラー(Auerbachs Keller)レストラン
ライプチッヒに行ったら是非。

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2014年8月 4日 (月)

ヨーロッパ最大の記念碑

ライプチッヒの街外れにひと際大きな建造物。

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遠くから見ると何だか大きな遺跡のようです。
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これは諸国民戦争(ライプチッヒの戦い、1813年)記念碑で、ナポレオン戦争中、最大規模の戦いが行われ多くの命が失われました。その100年後にこの建物を建てたそうです。
中に入ってみると
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何とスケールの大きなこと!
途中まではエレベーターでしたが、そのあとは階段。
結構疲れました〜
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頂上から見下ろすとこんな感じ。
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隣接の博物館ではナポレオンにまつわる品々も展示されています。
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ナポレオンは意外とハンサムだったのですね。

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2014年8月 3日 (日)

思い出のライプチッヒと再会

今回、唯一東ドイツの時代(1979年3月)に来た街へ、戻ってきました。

当たり前ですが街の様子が全然違います。
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私が来た頃は娯楽が少なく、
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私達の演奏会も当時の金額で500円くらい。
ただ、嬉しかったのはそこへ当時この東ドイツへ働きに来ていた(主に工事現場)日本人の方々が日本民謡を歌い始めた私達の演奏を聴いて、泣き始めたことです。
舞台にいる私にまでそのむせるような鳴き声は聞こえてきました。
私が歌をずっと続けていこうと、強く誓った瞬間だったと思います。
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この左の建物はソ連が建てたもので、旧ライプチッヒ大学。
開いた本を現しています。
街並については私が覚えているのは残念ながら、これぐらいですが、
聖トーマス教会ははっきり覚えています。
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ここは聖トーマス少年合唱団が在籍するところで、ウィーン少年合唱団と同じように由緒ある世界的に有名な合唱団です。
中にはバッハのお墓もあります。
私が2番目に好きなクラッシックの音楽家です。
(ちなみに1位はチャイコフスキー。)
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ステンドグラスにもバッハがいるんですよ。
外に出て街を歩いていくとまたガラッと雰囲気が変わります。
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このアウグストゥス広場は東ドイツっぽいのですが、
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反対側にはこれが〜。
元教会だったところを取り壊し、ライプチッヒ大学をここに。
だから教会っぽいんですね。
高層ビルからここへ大学が移ったという事でしょうか?
とにかくハイカラな大学ですね。
ちなみにこの高層ビルはオフィスや商業施設になっているそうです。
ライプチッヒは色々な顔を持つ非常に面白い街で、ドイツの街の中でかなり好きです。

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